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Brog Of Ropesu

Brog Of Ropesu

Act 2 続きの続き

「そんなのデタラメだよっ!瞬君はそんな悪い人なんかじゃないよ!」

目の前の青年が敵であると解った事もあるが、自分の命の恩人且つそれ以上の感情を持ちつつある瞬への悪名に声を尖らせる未来。
その眼差しには、人を疑うことを知らない彼女らしからぬ嫌悪の色が見え隠れしている。

「否定はしない。それは紛れもない事実であるからな。己が不名を隠すのも恥の一つだ。その忌み名は戒めでもある。」

瞬の贖罪をも含む静かな肯定。
だが、後ろめたさや自分の汚れた部分を知って欲しくない、といった相反する感情が綯い交ぜになり彼女の顔を直視できない。

「う、うそだ!うそだ!うそだよ!瞬君は皮肉屋でいじわるだけどホントはすっごく優しいの知ってるもん!人殺しなんてする人じゃないよ!」

今にも泣き出しそうな顔で震えるように声をあげる未来。
そこには、瞬から否定の言葉が聞けなかった事により、その事実を半ば理解してしまっている現実的な思考をも内包する矛盾を孕む。
それもそうであろう。彼女もついこの間までは十戒の一員だったのだ。
その可能性を考えていなかったワケでは無い。
ただ、それに目を背けていただけなのだ。そのジレンマがより彼女を困惑させる。

「一つ聞こう。何故、未来を助けたのだ?」

彼女に見せたくない自分の一面を知られてしまった動揺は浅くは無いが、今優先すべき事項は眼前にいる敵だ。
半ば未来を無視する形で、静かに、だが確かな怒りを湛えながら瞬はシヴァに問う。
駆け引きに慣れていない人間ならば背を向け一目散に逃げ出してしまう程の眼光を携えながら。

「何故?・・・う~ん、何というかね、僕のような几帳面さんは、自らの手で君たちをメチャクチャにしたいんだよ。
クソくだらない交通事故なんかで彼女が死んでしまったら、楽しさは半分になってしまうだろう?
それに、蚊っているよね?あれは刺されて痒いのもむかつくが、まあ、我慢はできる。だが、その羽音は人を不快にさせる周波数だ。
―――そう、そして、その五月蠅い羽虫どもを直接潰した時の快感は筆舌しがたい。殺虫剤で始末したときとは比べられない位にね。
・・・僕の想い、少しは伝わったかな?」

右手で握りつぶすようなジェスチャーをしながら、狂った様ににやつくシヴァ。
狂気を醸し出すシヴァに“様に”という表現をするには語弊があるが。

「ようやく下衆な本性を現したか。」

吐き捨てる様にして、射殺す程の視線をシヴァへと向ける瞬。

―――と、同時に筋肉の収縮しきったバネを解放し、一気に、まるでカタパルトの射出のようにしてシヴァの胸部へと拳を突き込む。
常人ならば内臓破裂を避けられない程の一撃である。
それは、まさに嚆矢と呼ぶべき射撃。
先制攻撃とは対人戦闘では強力なアドバンテージを得る。特にその軽い身のこなしを活かしてのかき回し、ラッシュなどを得意とする瞬にとっては、よりその意味合いが強い。

「“下衆”とは、またまたご挨拶だねぇ。批判をする人間は、同時に批判される覚悟を持ち合わせなければならないよ?」

しかし、シヴァは不意打ちに近いその砲弾じみた一撃を気にも止めず、と言った具合いに受け流すと、軽口を叩きながら、歪んだ笑顔を象る。

「誰かがやらないと『悪』というモノは駆逐出来ない。秩序を守るためにその排除は絶対だ。絆創膏で隠した傷は治らない。膿むだけなんだ。
僕はお茶目さんだから、その中にほんの一握りの悦楽を持ち込んでいるだけだよ。」

シヴァは、瞬から続けざまに繰り出される一つ一つが槍と呼んでも差し支えない対象を穿つ連撃を、いやらしいにやけ顔を伴いながら易々とかわす。

「君も元十戒ならば気付いているハズだろう?僕たちが悪を駆逐するのに君たちみたいな使えない駒が出来ると非常に効率が悪いんだよ。」

瞬が発する掌打の雨を捌きながら、シヴァは着用しているダウンジャケットの懐から銀色に煌めく何かを取り出す。

―――それは、なんの変哲も無いフォークであった。

喉に刺せば致命傷と成りうるが、武器には程遠い代物。
ましてや、軽業による戦闘が主である瞬には触れることすら叶わないだろう。
シヴァが何を思ってこんなものを取り出したのかは解らないが、万が一に備えて距離を取る瞬。

「正義の味方気取りか?笑わせるな。」

「・・・正義の味方か。そんなつもりは、毛頭無いよ。
僕は単なる必要悪だ。何かを産み出す為には、何かを壊す必要がある。それは君が一番解っているハズだろう?」

手にしたフォークを、手の上で回すペンの要領で、くるくると壊れたコンパスの様に弄ぶシヴァ。

「確かにそうであるな。その様な強引なやり口が実に十戒らしい。
『リスキー・シフト』という言葉を知っているか?集団では考えが画一化する、という理屈である。何かを信じるというのは簡単だ。自分一人で答えを見つける方が遙かに困難で辛いものであろう。
また、『正義』という言葉は盲目的に疑念を消す。思いこみの激しい人間には麻薬に等しい代物だ。
・・・いや、倫理という殻を被っている分、麻薬よりもタチが悪い。
正義とは立場や状況によって変わるモノ。正解など誰も判らないものなのだ。だからと言って主等のやっている事が間違っているとは言わない、正しいとも言わない。それは後の世が判断する事である。
そして、俺は十戒という組織は脱退した身、主等とは不干渉だ。主等の邪魔をする気は毛頭無い。やり方は気に入らないがな。
・・・だが、未来へと危害を加えるつもりならば。」

瞬は未来を後ろに下げるように、手をかざす。

「―――全力で彼女を守る。」

「・・・瞬君。」

瞬に守られる格好となった未来の胸がとくん、と高鳴る。

「そのメスガキがそんなに大事かい?
・・・ああ、そうか。そこの『ミクトランテクゥトリ』は、彼女・・『光子』と言ったかな?その光子ちゃんの代わりって事だからね。
そりゃあ、躍起になる位大切だ。二度も大切な人を亡くしたくないモノねぇ。」

仰々しく、それでいてわざとらしく、まるで今気付きましたと言わんばかりの口調でにやつくシヴァ。

「『不干渉』?『正解は後の世が決める』?随分と甘ったれた考え方をするんだねぇ、君は。
そんな日和った思考だから、かつて君は彼女を、『幸至光子』を守れなかった。・・・違うかい?」

得意げに、鼻にかかった声を発するシヴァ。
手元では依然フォークがプロペラの様に回されている。
これ程までに顕著な挑発も中々無いだろう。

「・・・次に、軽々しく彼女の名を口にしてみろ。
・・・その時、俺はお前を“撃退すべき敵”から“殲滅対象”へと変更する。」

シヴァが言い終わるか終わらない内に、その薄ら笑いを浮かべる顔面のすぐ脇にある虚空を切り裂く瞬の拳。
その際、睨み付ける双眸の瞳孔は絞られる。対象を点で捉え、人では無く物とみなす意志の表れである。

「うん。憎しみに彩られた良い顔だ。そうだよ、君には負の感情がよく似合う。
何度でも言ってやるさ。彼女が殺されたのは君の所為だ。君の覚悟なんて所詮は口だけ。
ハリボテなんだよ、きみの言う理想はね。僕は、君みたいに理想論だけで動こうとしない人間は大嫌いだ。
モラルなんて足枷さっさとはずしてしまえよ。君はもっと邪悪な代物だろう?御託はもう充分だよ。うんざりだ。理屈をこねて無いでかかってきたらどうだい?僕が憎くて憎くて仕方ないんだろう?」

シヴァは後ろに退き瞬から距離を取ると、相手を小馬鹿にしたような嘲笑を止め、蔑むような、それでいて憐れむような視線で正面を見据える。

「よかろう。完全に敵として認識した。
・・・それとな。俺も、主のような夜郎自大な人間は大嫌いだ。気が合うなッッ!」

瞬は声を発する際の呼気に合わせ、シヴァの首へと揃えた指を突き出す。
踏み込みは刹那。速さを活かす攻撃を主体とする瞬にとって、一足で詰める事が可能な範囲。即ち10歩以下の間合いは無いに等しい。

―――だが、シヴァも常人では無い。
その貫手と呼ばれる急所を刺し貫く一手を、事もなく避けると、瞬の伸びきった腕へ手にしたフォークをえぐり込むべく右手を振り上げる。
反撃を想定していた瞬は、そのまま足を交差する歩法により全身を横方向に反転させる事で懐に潜り込む。
・・・と、同時に、肘をシヴァの水月へとねじ込む。そして、間髪を入れず拳の裏を顎へと打ち込むと、その反動を利用して半歩引き、逆足で顎へと遠慮のない前蹴りが追撃としてお見舞いされる。
急所のみを狙った容赦の無い連携打撃である。

しかし、それら全てに手応えは無い。
あるのは―――そう、最初から感じている、滑るような違和感のみだ。
そもそもこのシヴァは異質なのだ。先程の攻撃も素人玄人云々の話では説明がつかない。
瞬の動きはテコの原理を応用した相手の退路を断ちながらのモノであり、全てを捌き切り回避するのは物理的に不可能。
必ずどれか一撃を受けざるを得ないのだ。
玄人であっても、その内のどれを避け、どれを甘んじて受けるかを咄嗟に判断して致命傷を免れるしかない、そんな攻撃なのだ。
これら全てを無傷で回避するには、人間という生物の身体構造上、どこかしらの関節をはずす必要がある。
しかし、シヴァはそれを難なくやってのけた。
関節をはずした様にも見受けられない。
瞬はシヴァが、何かしらの異能で“打撃を無効化している”という可能性を想定する。
・・・もし、そうであるならば打撃での猛襲が唯一の攻撃手段である瞬にとって、これ以上無い位に相性は最悪だ。闘うべき相手では無い。

「いやー凄い凄い。常人だったら今の一連の流れで、もう既に3回は死んでるねぇ。いや、最初に飛びかかってのを合わせるともっとかな?」

言葉とは裏腹に平然とした様子で、着込んだダウンジャケットから大量のフォークを取り出すシヴァ。
それぞれの指の股に挟み込んだ計八つの銀の光沢は、鈍い輝きを見せる。
晴天であるならば反射による目眩ましの効果もあったのであろうが、現在の様に今にも泣き出しそうな空の下ではその可能性は皆無だ。
瞬は意図が掴めないシヴァの行動を警戒し、後ろへと跳ぶ。

「体術には多少心得がある様だが、それでも俺の敵では無い。呼吸法、歩法どちらも及第点以下であるな。」

探るようにして挑発する瞬。
このシヴァはどうにも戦闘慣れしている様には見えない。きっとスキを見せるだろう。それを見込んだ堅実な策である。

「君は自分の立場が解っているのかい?狩るのはこちら側で、君は獲物だ。それに、体術・・・体術・・・ねぇ・・・。」

くく、と、くぐもった嗤い声を上げるシヴァ。
楽しくてたまらないと言った感じに加えて、自分よりも劣った人間を見下す様な雰囲気を含むため、不快感を感じずにはいられない嗤いである。

瞬は、予想通り作られたその隙をつき、フォークに注意を払いながらも再び間合いを詰めると、そのまま人差し指と中指を折り曲げ真正面に勢いよく突き出す。寸指と呼ばれる狙った箇所に力を集中させ、対象部位を破壊する繰り手である。
瞬の力でこの一撃を食らったならば、胸骨が砕けるだろう。
まして助走によりスカラーもプラスされている為、威力は倍以上に跳ね上がる。そして、続けざまに放たれる掌底は、しゃがみ込んだバネを利用して、相手の顎へと向かう。
首というパーツは鍛える事が出来ないが故に、脳をシェイクさせ、意識どころか生命すらも刈り取るであろう一撃だ。
 
しかし、案の定瞬の目に映るのは倒れ伏すシヴァの姿では無く、口の端を邪悪に吊り上げた彼の顔だ。

「バカの一つ覚えだね。無駄だよ。もう既に気付いているだろう?
君が僕を駆逐する事は不可能だ。僕は君について充分に予習して敗北しない確証を得てから来訪しているんだ。
その上で君に倒される可能性はゼロと判断している。いい加減認めたらどうだいッ!」

肉薄する瞬に、語尾を強めるのと併せて、手にしたフォークを投げつける。
その銀に煌めく小型三叉戟は、8本全てほぼ同時に射出されショットガンの様に「面」を創り出す。
だが、常識範疇内のスピードであるそれらは、例え至近距離で放たれたとしても、瞬にとっては児戯も同然である。
あるものは難なく避けられ、あるものは造作も無く叩き落とされ、それぞれ地面を為すアスファルトに虚しく散らばる。

「・・・『月読命』。
象徴の詩は『影より出でし存在よ。闇にて際立つ宿命は、夢か現か幻か。願わくば、他が双眸より囚われんことを。』だったね。
十戒の詩は、例外なくその繰る異能を抽象的に表すモノだ。
これから察する君の能力を、大体僕なりに想像して弱点を突いてきたってわけだよ。手強い相手への常套手段さ。
・・・もっとも、僕の力は君の異能に対して最高の相性だ。
僕の分析力では残念ながら『ミクトランテクゥトリ』のそれが如何なるモノか解らなかったから、念には念をって事で今回の様なシチュエーションを用意したんだけど、杞憂だったかな?」

シヴァは再び懐からフォークを取り出すと、ペン回しの要領で回しながら冷笑する。

「要約すると、だ。如何なる原理に寄るものかは不明だが、君は誰かに見られていると本来の力が発揮できないんだろう?
そして弱体化はその人数に比例する。学芸会に出る赤面症のガキじゃあるまいし情けない能力だね、ホントに。」

高らかに嗤いながら、ぐるりと辺りを見渡すシヴァ。
周りにはこの草臥れた街の何処にこんなに人が居たのか、事故による野次馬がわらわらと蟻の様に集まりちょっとしたイベント会場を呈している。
皮肉にも激しい混雑のおかげで瞬たちを凝視するような輩は存在しないが、それでも人の視線が交差している状況には変わりない。
そして、シヴァの指摘は抽象的であるが的を射ている。
瞬はその事を悟られないように平然を装うとするものの、その焦燥は隠しきれない。

「・・・瞬君、あの人の言ってる事が正しいなら、もしかして私、邪魔になってるのかな。」

ぽつり、と今まで無言で事の成り行きを眺めていた未来が呟く。

「だったら・・・私も闘うよっ。瞬君が『守ってくれる』って言ってくれたのは嬉しかったけど、私だって元十戒。瞬君のように場慣れはしてないけれど、闘えないワケじゃ無い。
守られてばかりのお荷物なんてイヤだからッ!」

そう言うと、瞬の後ろで控えるように佇んでいた未来はするすると手に巻かれていた包帯を解いていく。

「・・・未来。気持ちは有り難いが、ヤツは主の手に負える相手では無い。」

ぴしゃり、と言い放ち、瞬は包帯が展開されている途中であった未来の腕を掴む。未来はびくりと、身体を震えさせ詩の詠唱を止める。

「で、でも・・・・」

瞬に突然腕をつかまれ心音が早まる未来。そして同時に紅潮していく。

「この際だからハッキリ言おう、邪魔だ。
・・・それに、主には手に負えないかも知れないが、俺にとって敵ではない。心配は無用だ。」

余裕綽々、得意満面といった笑顔を向ける瞬。
これが普通の場面か普通の人間であるならば頼りになるのであるが、難しい顔をしているのがデフォルトである瞬には似つかわしくない表情である。
逆に、それが現在の状況が非常に切迫し困窮している事を顕著に示していた。物言いが乱暴なのも必至さの表れだろう。
変な所で勘の鋭い未来には隠しきれない。

(・・・瞬君。相当無理してるな。・・・でも、悔しいけど言うとおりだ。
瞬君でさえ余裕が無いこの状況。私が下手に動いたら、きっと、もっと悪化する。)

未来は助けたい気持ち、だが、動いたら逆に瞬の足を引っ張る事となるジレンマに、強く唇を噛む。

「あっはっはっ!何度も言うようだけど、君は自分の置かれている状況を理解しているのかい?
それに、リアクションを見る限り僕の推察はどうやら図星の様だねぇ!特別に僕の能力をタネ明かししてあげよう。
・・・僕の力は、神話でシヴァが繰る三叉戟を模したこのフォークが対象に触れている間、その物質のあらゆる抵抗値をゼロにするんだよ。
何をゼロにするかは任意で変更できる優れものさ。抵抗と名が付くモノであれば何でもだっ!
例えば君の身体の電気抵抗をゼロにすれば静電気で絶命するだろう。
皮膚は絶縁体に近い。電気イスで処刑する際、伝導率を上げる為に食塩水をかけるのは君も御存知だよね?」

芝居がかった様に両手を広げるシヴァは清々しげに朗々たる声をあげる。

「そして、僕はこの能力で僕自身の摩擦抵抗力をゼロにしている。
打撃斬撃などの物理的干渉は受け付けないって寸法さっ!あーはっはっはっ!!」

まるで脚本が狂ったミュージカルのように哄笑するシヴァ。
恐らくは自己陶酔に浸っているのだろう。加えてその瞳に宿るのは他者を蹂躙する事を意に介さない暗澹な色。

「なるほど。シヴァ・・・『取り消す者』の意味通りの能力というワケか。名前通りとは、実に芸が無い。
・・・カマをかけたのであるが、よもやこう簡単にも成功するとはな。
自らの能力を相手に明かすなど愚の骨頂だ。三流以下であるな。
“フォークが接触した対象の摩擦抵抗をゼロにする”か。
ならば、主が携帯しているフォークを奪えば良いだけの事だ。話が早くて助かるな。」

勝機を見出した瞬は、膝を軽く曲げ踵を浮かすと、体重心を前へと移行する。歩法、呼吸法ともに訓練されている瞬は、こと近接戦闘においては達人クラスの域・・いや、それ以上に達している。
故に、そうする事によりロケットエンジンのごとき爆発的推進力を得る事が可能だ。後は一拍の呼吸をおけばシヴァの制圧ができる状態となる。

「別に君には元から明かすつもりであったさ。タネが解った所でどうしようも無い事には変わりない。僕が君による物理的干渉を受けないって事実はね。
摩擦力がゼロという事はそのフォークを掴む事すら出来ないって事なんだよ。君のそのプランを実行する事は不可能だ。
打撃もそうだ。申し訳程度でもいい。曲面に触れさせさえすれば力点がズレこみ、ベクトルは行き場を無くしてどんな無双の一撃だって空振りだ。
それにね、さっき放ったフォークで君の足下の摩擦抵抗もゼロになってるんだよ?」

ほら、と手にしていたフォークを、まるでゴミを捨てるかの様に無造作に放るシヴァ。
フォークはアスファルトへと着地すると同時に、まるでカーリングストーンの様に滑っていくと、遙か彼方にある民家の塀に衝突し、ようやくその動きを止めた。
摩擦抵抗の値がゼロの状態という事は、そこに存在する物質に働く力学的エネルギーは、大まかには重力加速度とその抗力のみである。
その様な状態で存在する物体に横方向への力を与えれば先程のフォークのような等速直線運動をすることは自明の理と言える。

「どうだい?動きようが無いだろう?僕の力を知った事で、八方ふさがりな状況を再確認しただけなんじゃないか?攻撃も撤退も不可能だろう?」

瞬はシヴァには気付かれない様に歯噛みすると、拳をぎりっ、と握る。
この状況はまずい・・・最悪自分が倒れても未来だけは守るつもりでいたが、このままではそれも叶わないだろう。
そんな想いから瞬は再び必至に知恵を絞り、思案する。

「あははっはは!!そうだよ!それっ!その表情が見たかったんだよっ!万策尽きたって感じの良い顔だねぇ!
どうやら僕の力は、君たちの抵抗する意志をもゼロにしてしまったみたいだねぇ!
・・・そして駄目押しとばかりに君にクエスチョン。
そろそろ雨が降りそうだけど、空気抵抗をゼロにした状態で降水するとどうなると思う?」

にやりという擬音がいかにも似合う、ねっとりとした、まさしくまとわりつくような不快な目付きで瞬へと視線を向けるシヴァ。

「まさかっ!」

柄にも無く、目に見える程激しく動揺する瞬。

「あはははっ!そう!君の想像通りだよッ!水滴は重力加速度により加速し続け、位置エネルギーは乗倍増加する。
レーザーと何ら変わりない一閃が君たちに降り注ぎ、風穴を開けるだろうねぇ。
この国には『雨垂れ石を穿つ』なんて言葉があるけど、それを体現する事になるんじゃないかな?」

シヴァの能力ははっきり言って攻撃向きでは無い。
誰かと協力する事によって初めて真価を発揮する補助型のモノだ。効果範囲も行動を見る限り、制御するのが難しい事が解る。
範囲指定することができれば、雨など待たず歩み寄って殴れば良いだけの話なのだから。
そうすれば、瞬達は先程のフォークの様にどこかに激突して骨の1,2本易々と破砕するだろう。
そうしないという事は、それが出来ない証明であり、“動けない”という条件は相手も変わらないという事だ。その点を考慮して多少時間を掛けても打開策を見つけようとしていた瞬であったが、雨が降り出すのも時間の問題だ。どうやらそれも難しいらしい。

そして、フォークの移動距離や周辺の人々があちらこちらで転ぶところを見ると、瞬はおろか、未来すらも迂闊に動くことが出来ない。
瞬は、諺の意味をはき違えたシヴァを睨み付けるが、どうする事も出来ない。雨が降れば確実な死が待っている。加えて周りにいる自分たちに関係の無い、たまたま居合わせただけの多くの人間をも巻き込む。
胸には焦燥感ばかりが湧き上がってくる。


―――まさにジリ貧の状態であった。


====================#22はここから

●◎●


―――同時刻、瞬と未来の戦いを眺める人影が一つ。
それは、この日真町で1,2を争う、まさに聳え立つような高層ビルの屋上に居た。
そのビルは近年の急激な都市開発による代物で、日真という中途半端なベッドタウンには場違いな建築物である。
これよりも高い建築物は、この辺りでは日真タワーくらいのものであろう。
景観を損ねる、と近隣住民の激しい建設反対運動があったのは、また別の話。

「んー、こっからじゃあ遠すぎて状況が良くわからんなぁ。2対1じゃあ、やっぱり分が悪いってヤツかねぇ?俺も加勢とかしちゃったりする方が良いのかねぇ、どうも」

頭をボリボリと掻きながら独りごちる青年は、片眉を寄せる。

「でもなー、帽子のアイツ・・なんかいけ好かないんだよなぁ・・・、七面倒くさいってヤツさね。」

青年は如何にも乗り気で無い、と言った様子で3人の戦闘を眺め続ける。
状況だけ見れば、2対1、と青年の仲間であるシヴァの分が悪いのにも関わらず、焦りや不安などが見られないのは単に興味が無いからであろうか、それとも信頼をおいているからであろうか。
言動と態度から察するに前者である可能性が高いと言えるが。



「で?お前は俺に何の用なんだ?」

青年は、先程までの気怠そうな様子から、突然スイッチを切り替えたようにナイフの様に鋭く、それでいて相手を押しつぶすような低重な声で呟く。

「いえ、大した意味はありません。ただ、このような時間、このような場所に人がいるので、興味を惹かれてやってきただけです。
それに、貴方が眺めている人物の中に親しい友人がいるモノでして。」

こんばんは、と、青年の背後、完全に死角となる場所から緑髪を長く垂らした少女が現れると、にこりと微笑みかける。
左右の瞳は琥珀と深紅。オッドアイと呼ばれる、ハーフに見られる特徴である。
また、服装はヘソ出しルックのタンクトップにカットジーンズといういかにも今風の若者といった感じの出で立ちである。

「そりゃ、お節介で。たださ、好奇心で来ただけの人間がどうしてわざわざ気配を遮断する必要があったのか、気になってね。
・・・で?お前は何者なのさ?」

青年は先程とは一転、少女の姿を確認すると口元を緩め、値踏みする様に下から上へと視線を運ぶ。
そして一通り品定めのような動きを終えると、楽しくて仕方が無いと言った様子でヘラヘラ笑い出す。

「上手く消したつもりなのですが、気付かれていましたか。まだまだワタシも未熟ですね。」

ふふふ、と落ち着きと気品のある笑みを浮かべる緑髪の少女。
年齢にそぐわない艶っぽい笑いである。
この年代の少女ならば、このような舐めるような視線で見定められたのであれば嫌悪感は隠せないだろう。
しかし緑髪の少女はそんな事など意に介さない様子である。それが一層そのオッドアイの少女の妖艶さを際立たせる。
しかしながら目は笑っておらず、相手の腹を探る、そんな表情をしていた。

「いやいや、どうにも箒臭いがしたもんでね。気配消すんは完璧だったと思うさ。」

依然、無邪気と表現しても良い、子供のような笑顔を緑髪の少女に向けながら、にやつく青年。 

「箒?一体何のことでしょう?ワタシはかようなモノ持ち歩きなどしませんが?」

怪訝な表情を浮かべながら頬に人差し指を当てると、小首を傾げるオッドアイの少女。
先程とは一転、年相応の愛くるしい仕草である。

「カビくせぇ、魔術の匂いがするっつー事さね。
・・・リーウェル・ケイスター。通称『最後の魔女』、『雑種の魔女』だっけか?箒バカたちの忘れ形見ってヤツだろ?」

さも得意気に言うと、組んでいた足を解き立ち上がる、青年。

「ワタシのことを御存知でしたか。では、油臭い貴方は『こちら側』の人間、と捉えてよろしいのですね?」

リーウェルと呼ばれた少女は再び、ふふ、と微笑する。
だが、少し前のそれとは違い、その笑顔からは威圧感のような凄味が感じられる。
口調こそ穏やかであるが、トゲがあり、敵意は剥き出しだ。

「ま、どう捉えてくれもいいさ。」

そんなリーウェルの内なる変化を知ってか知らずか、両腕を組むと、思いっきり伸びをする青年。
前者なら余裕、後者なら空気が読めない様だ。

「さて、ワタシとしては一つ貴方に聞きたい事があります。」

編み上げブーツを履いているにも関わらず、特有のコツコツと言う遠く響く足音を立てず、屋上のへりへと歩み寄る。

「・・・貴方は、どちらの味方ですか?」

眼下の戦闘風景を一瞥し、一拍の呼吸を置くと青年へと向き直り、柔らかに、だが明確な戦意を湛えながらリーウェルは問うた。

「さてね。ちなみに、どっちだと思う?」

そんなリーウェルの重圧ある言葉とは、対照的に、軽く気楽な様子で応答する青年。
だが、決してスキだらけと言うワケでは無い。
腑抜けた言動をしながらも抜き身の刀身の様な気迫が青年の中には同居しているのだ。食えないヤツ、という表現が最も当てはまる。そんな印象である。
リーウェルは青年がどう返答しようとも、自らの敵という認識を払う気は無いが、その所為で攻めあぐねている状況であった。

「ワタシとしては、あの帽子の男であると好ましい。」

「おービンゴビンゴ。すばらしい洞察眼だっ!なーんてな。
・・・で、なんで俺があいつの味方だと嬉しいのさ?」

「ワタシたち魔女が侮辱された事に立腹しているからです。
あの帽子の男の味方であるならば、ワタシの敵。何の気兼ねもなく攻撃が出来るというものです。
・・・そして、貴方の認識には間違いがあります。
魔法とは奇術。魔術師と奇術師の違いは、公開するか、隠匿するか。
即ち、魅せる技術を攻撃に転用したものを一般に魔術と呼ぶわけです。
それは言わばフェイクであり、自然現象、科学技術、物理法則の応用であり貴方の様に理を歪める力はありません。
摂理を曲げる力、それを所有している時点で貴方は異端であるのです。
・・・図星ですね?『世界の十戒』の一人である、オイルの不快な臭いが漂う貴方?
そしてワタシは異端を排除する義務がある。」

まくし立てるように話すと、腰にある大きめのベルトに挟み込んでいた鈍重な印象を持たせる黒色の棒と、その革のベルトに紐を付け提げていた鈍い銀色を放つ金属に手をかけるリーウェル。
それはそれぞれ、トンファーとバグナウと呼ばれる武具である。
トンファーは2本の長さが異なる棒を垂直に組み合わせた構造で、打突による攻撃は勿論、ひっくり返せば防具にも転用できる。
バグナウは拳に装着する武器で、獣の爪のような形状をしており、こちらは対象に致命的な裂傷を負わせる事ができる、攻撃に特化した武装である。

一方、青年はというと、初めの言こそ平気の平左といった様子で聞いていたが、最後の言については明らかな動揺を示す。
どうやら、自らの出自が看破された事によるものの様だ。

「―――それに・・・現代の魔女は箒など使わないっ!!」

リーウェルは青年が見せた一瞬の隙をつくと、トンファーを右、バグナウを左に構え、駆け出す。

「・・・やれやれ。接近戦は苦手なんだがねぇ、どうも。」

愚痴りながらも嬉々とした様子で、どこにそんなモノがしまってあったのか、2尺ほどの長さを持つ何かを構える。
基本的な形状は日本刀の様だが、細部は明らかに違う。
それは、所々から釘が飛び出していたり、管のようなモノが付属していたりと、まるで刀の形をした鉄塊そのものであった。こんなモノが一般の刀であるなら刀鍛冶を職人と呼ぶことは無いだろう。
振り下ろした刀状のそれを右に手にしていたトンファーで受け止めるリーウェル。どうやらこのトンファーは主に盾の役を担っている様だ。

「訂正しなさい。箒という勝手なイメージは他の部族が我々を羨み、妬みを込めて付けたもの。我々にとっては侮蔑の言葉に等しい。第一、理論的に考えて、かようなものにまたがっていたら激痛の余り30分と持ちませんっ!」

続いて二戟。三戟。四戟。と、互いに打ち合う。
それだけの剣戟をくり返すと刀という武器の特性上、刃こぼれやひん曲がる様に変形して使い物にならなくなってもおかしくは無いのだが、その切れ味は依然劣る事なく健在だ。
これは、リーウェルが正面から打ち合うというよりも刀身がトンファーに触れた瞬間、刃に沿って滑車を滑らすように受け流す、といった方法で受け流している為である。
加えて、青年の刀も如何なる原理によるかは不明だが、まるで脱皮のように、打ち合う度にメッキが剥がれる様相で、刀から金属が剥離し、次々と真新しい刀身が表れ、その性能は一向に劣らない。

「ヒュウ♪すっ短気だねぇ、どうも。その言いようだと試してみた事があるみたいだな?
それにな。スキをわざと見せてそこに向かわせる戦い方もあるってこった。こうでもしないとリルちゃん攻めてこなかったろ?」

一際激しい、振り下ろしの袈裟斬りが青年から放たれる。
リーウェルはその重い一撃を片腕では受けきれないと判断し、両手で受ける。それでもギリギリといった凶悪な一閃である。
そのまま互いに押し合いへし合い、鍔迫り合いを思わせる状態となる。

「馴れ馴れしく呼ぶなっ!」

叫ぶように言を発するリーウェル。
彼女の細腕では純粋な腕力勝負である、現在の状況は些か厳しい様だ。

「それにしても俺が良く『十戒』のメンバーって解ったな?」

まさに必至という状態を呈しているリーウェルとは対照的に、以前軽口の様な気軽さで尋ねる青年。

「簡、単な・・・推察ですっ!シュン程の使い手が凡人に苦戦する事など万が一にもあり得ないっ!
ならば、逆説的に相手はそれでは無い者であるという事を意味します・・っ!そして、貴方と帽子の男は二人組。人間の形を保っている時点で『八人機関』である可能性は除外。
そして『三大呪術師』である可能性も皆無ッ!『果てよりの凶報』が悪事に荷担する事、ましてやシュンを攻撃する事など万に一つもあり得ないッ!単なる消去法ですっ!」

息も絶え絶えと言った様子で刀を押し返すリーウェル。
言も激しく乱れ、途切れ途切れである。同じ箇所に持続して負担がかかっている為、筋肉は痙攣し始め、そろそろ限界が近い。

「ふ~ん、なるへそなるへそ。流石にキレるね。
そんでもって、予想してたよりも随分とやるみたいだねぇ、どうも。
じゃ、先ずその棒っ切れを使えなくさせてやりますかねッ!と。」

青年は勢いよく、刀の鍔から伸びた導火線の様なコードを引くと、刀が突如震え出す。
そして、刀の中で反響する様なゴーッいう何かの駆動音がしたと思うと、刀の峰からは白煙が吹き出す。
臭いは車の排気ガスのそれだ。言うならば刀の形をしたチェーンソーと呼んで差し支えない機構である。
と、同時にトンファーに凄まじい過負荷がかけられる。
どうやらジェットブースターのような装置が内蔵している刀らしい。
その噴射の勢いは、少し下向き加減に射出され猛スピードの斬撃となり切り口は粗さとは無縁といったモノとなる。小刻みに振動している刀であるため切れ味は通常のそれの比では無い。

「タングステン製のトンファーが持ち堪えられない・・・ですか。
ワタシはつくづく日本刀という武器に縁がある様です。
だが、貴方の技量は優れた付加価値を持つ刀によって得られているモノ。純粋な剣技ではソウイチの義理の兄上には遠く及ばない。」

リーウェルはトンファーが文字通りの金切り音を伴い切断されると同時に、横に跳ぶことで縦一閃をやり過ごす。
後ろに下がっては避けきれない可能性があると共に、斬り上げにより追撃される畏れがあるためだ。さらに、大事をとって距離を取る。

「言うねぇ、どうも。でも、そのトンファーじゃあもう受け切れないってヤツさね。さてさてリルたんは大ピンチなんじゃないのかねぇ?」

そう言うとリーウェルへと奇怪な刀の切っ先を向ける青年。

「防御に使えぬのならば、両方攻撃に転じるまでっ!」

リーウェルは青年の威嚇に怯まずトンファーと同じようにして腰のベルトに挟み込んでいた、何かを包み込むように丸めた厚手の手袋を抜き取ると、手慣れた様子で素早く装着する。
そのとき、丸めた手袋を広げると同時に火の粉が上がる。
そして、燃え上がる手袋で握られた事により、油でも塗ってあったのか、短くなってしまっていたトンファーに引火、炎上する。
手元が激しく燃え盛るが当のリーウェルは平然としている。どうやら耐火性のグローブの様だ。

「蛮勇というか、何というか直情的なお嬢さんだねぇ、どうも。
“燃え盛る火”ってのはリルたんの性格にお似合いさね。
この雨の中で発火・・・って事は一属、二属元素の純金属か?手袋の中に仕込んであった、って所かね。
昔の人間がこれ見ちゃあ、魔法だって思っちまっても仕方が無いってヤツさね。」

一属、二属元素とは、アルカリ土類金属、アルカリ金属をそれぞれ指す。
それに属する純金属であるカリウム、ナトリウム、マグネシウムなどは水と反応して発火する性質を持つ。
また、正反対に同じ一属元素金属であってもリチウムなどは空気に触れることで発火する。
他に、一属、二属以外ではリンも、リチウムと同様の性質を示すのだ。
もっともリーウェルはTPOに合わせられる様、全て常備しているが。

「御存知でしたか。」

両手のトンファーとバグナウに加え、新たに炎を武装したリーウェルは、青年の出方を伺いながら、徐々に間合いを詰める。

「こんなバカでも一応それなりに有名な進学校に通ってるもんでね。そんくらいの知識はあるさね
。ガソリンに引火すると面倒だからなぁ・・・こうするしかねぇか。七面倒臭いねぇ、どうも。」

青年は、心底面倒くさそうに着ていたジャケットの内ポケットからジャンクパーツの様な、何かの機械の部品を取り出すと、リーウェルへと向けて勢いよくばらまく。
リーウェルは訝しげにしながらも必要最小限の動きでそれらを避ける。

―――が、それが仇となった。
その欠片クズの様な鉄塊達は金属同士が擦り合う不快な音波を伴いながら展開、成長していく。
それは、例えるならば機械の葦。
奇怪な機械はつたや触手のようにリーウェルの手足に巻き付き自由を奪う。そのような滑らかな挙動を示しているが、元は鉄鋼。人間の力では引きちぎる事は不可能だ。拘束されるのは必然と言えよう。
経験が浅い素人ならば、大事をとって大きく避ける為、この様な事にはならなかったであろう。
経験の豊富さを逆手にとった戦法と言える。

青年は捕縛されたリーウェルを見ながら、勝ち誇った様な表情をその顔に張り付け、ゆっくりと歩み寄る。

しかし、リーウェルは一分の逡巡も見せず、顎を引き、胸元から伸びた紐を口で咥える。それに括り付けてあった小瓶を、一気にその谷間から引き摺り出すと、歯を巧く使い、器用に零さぬ様にビンの蓋を開けた。
そしてビンを傾けつつ、手足にまとわりつく金属に慎重に、それでいて迅速に吹きかける。
金属はジュウジュウと鉄板に水分をかけたような音を立て、夏場のアイスクリームのように溶解した。
リーウェルは些末時です、とばかりに何事も無かったように再び歩み出す。

「・・・濃硫酸か濃塩酸、或いは濃硝酸、それとも王水あたりか?
ホントに色々持ってるんだなぁ。それに度胸も一級品だ。口に零しちまったらそれこそ大惨事だ。
でも、それももう打ち止めさね。身軽さを追求するために薄着、軽武装なのが仇となったな。」

青年は感心したように声をあげると、向かい来るリーウェルから距離をとる。

先程と同様に、再び何かの部品を投げつける青年。
如何なる原理かは解らないが、リーウェルの傍に転がると、彼女を追跡する形で伸長していく。
だが、リーウェルに二度も同じ手は通用しない。
瞬時に強く地面を蹴ることで加速し、難なく避ける。
さらには減速により緩急をつけたり、左右に展開する事により、翻弄する。
その様子を見て青年は、牽制程度に機械片を投げつけると共に、もう片方の利き腕では刀を構える。
青年の激しい怒濤の攻めの為、中々近づけないが、それでも徐徐に距離を詰めていくリーウェル。

―――そして今、二人が再び肉薄しようとしていた瞬間。



「やめてくださいっ!」

今まさに飛びかかろうとしたリーウェル、それを迎撃しようととした青年の間に第三者が割り込んだ。
それは両手を左右に広げると、ちょうどリーウェルと青年の中間点に飛び込み、それぞれ右腕でリーウェル、左腕で青年の勢いを殺し、食い止めた。
その招かれざる三人目は2カ所で髪の毛を縛った、一見普通の少女に見える。だが、普通という単語を使用するにはあまりにも左腕が異常過ぎた。
布を幾重にも纏い、さらにそれにチェーンを何重にも巻き付けると共に、それら一鎖一鎖に余すところなく南京錠をかけ、まるで封印しているかの様に見える、そんな腕であった。
それに、破竹の猛襲をかけていた二人をそれぞれ片手一本で止めたあたり、タダものでないことは確かであろう。
並の腕力では二人の常人ならざる勢いは止められない。

「ごめんなさい。えっと・・・。」

チラリと、リーウェルの事を申し訳無さそうに伺う少女。
こうして改めてみると、大人しそうな少女で、とても先程の様な離れ業をやってのけた様に見えない。

「リーウェルと申します。」

そんな表情につられてか、それとも本能でこの少女に敵意が無い事を感じてか、反射的に名乗るリーウェル。

「ごめんなさい。リーウェルさん。すぐには信じてもらえないでしょうが、ボクたちは決して貴方と事を構えるつもりは無いのです。」

真摯な瞳でリーウェルの双眸を真正面から見つめる少女。
真っ直ぐで後ろめたさなど微塵も感じられない、透き通った眼である。
また、物腰も柔らかく威圧感などは皆無である。この少女には、良い印象こそ浮かぶが、悪い印象とは全く持って無縁、澱みの様なモノは一切感じられない。

「なんでついてきたんだ?ミカ?」

青年はお気に入りの玩具を取られて機嫌が悪くなった子供の様に、さも邪魔だと言わんばかりに口火を切る。

「兄様が心配ではいけませんか?・・・それに無益な争いは・・・ボクは・・・」

ミカと呼ばれた少女は俯くと、青年の袖をぎゅっと握る。
今にも泣き出そうな様子である。それだけ、青年の事を心配していたのであろう。

「わーったわーった!ったく七面倒くせぇなぁ。興がそがれたちまったってヤツだね、どうも。」

青年は掌を額に当て、仰ぐようなオーバーリアクションを取る。

「ま、いっか。それに、こう見えてもフェミニストなんでね。これ以上は家訓に反するってヤツさね。じゃ、この辺でバイナラだ。」

青年はミカの頭をクシャクシャと撫でると、指を2本揃えて眉に当て、リーウェルにウインクをする。
そして、どうやってここまで乗り付けたのか、また、いつのまにエンジンをかけたのか、傍に停めてあった大型バイクに乗り込み、そのスロットルを捻る。けたたましい排気音を伴い動き出すバイクに、ミカは慌てた様子で疾風迅雷、タンデムシートに飛び乗ると、まさに、あっ、という間に二人は走り去って行ってしまった。
リーウェルは、詳細について聞き返そうと走り出したが、後の祭りだ。
機械使いの青年とミカの二人を乗せた大型二輪車は既にどう足掻いても届かない距離まで遠ざかっており、バイクごと屋上から飛び降りた。
否、飛び降りたと言うのには語弊がある。
リーウェルが慌てて地上を俯瞰すると、バイクはビル壁を垂直に下っていたのだ。
かと言って、自由落下による心中というワケでは無い。
文字通り壁面を疾走しているのだ。人の身で出来る芸当では無い。

「なんとも厄介な・・・」

その光景を見送る事となったリーウェルの溜息混じりの呟きは、全てを呑み込むような暗く深い夜天の空へと虚しく響き、その、底の知れ無い二人と再び闘うかもしれない可能性にただただ戦慄した。


               ●◎●

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